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岡倉天心
岡倉天心
Okakura Tenshin
(1863年2月14日-1913年9月2日)
  • 日本美術院を創設した美術評論家。横山大観、下村観山、菱田春草らを育てた。『東洋の理想』『THE BOOK OF TEA』(茶の本)などを執筆。
  • 9歳にして現地人にひけをとらぬ英語力を持っていた。その代わりに漢字が読めず、国語・漢字教育のために寺に預けられた。
  • 天心の著作物はすべて英語で書かれているため、その美術論が外国人に大きく影響を与えた。
  • 満16歳の頃に、13歳の基子と結婚。20歳までに一男一女を授かるが、夫婦喧嘩をし、提出する直前だった東京大学の卒業論文「国家論」を焼き捨てられてしまう。2週間後の期限までに一気に仕上げたのが、「美術論」。後の天心の将来を決定付ける論文となった。
  • 東京大学卒業後は、順調にエリート街道を歩む。34歳で東京美術学校校長として高等官三等、従位五位にまで昇格。日本美術界の頂点を極めた。
  • 九鬼隆一の妻の初子と不倫家計に。妻に浮気が発覚しても清算することなく、酒びたりの毎日を送った。酔っ払ったまま美術学校の校長室に現れることもあり、学校から追放される。
  • 追放後、自ら日本美術院を創立。ボストンに滞在していた頃、日本人ということで差別的なからかいを受けるが、英語で見事な切り返しをして、相手を黙らせた。
  • 天才的な英語力を誇る天心だが、アメリカに行ったのは24歳のときだった。
「あんたら何ニーズだ? ジャパニーズかい、チャイニーズ,それともジャワ人か?
("What sort of nese are your people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?")
※エピソード、名言の詳細は「トンデモ偉人伝 天才編」(彩図社)、「人生を奮い立たせる アウトロー100の言葉」(彩図社)を参照。
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